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古都ラハイナ散策で歴史に触れる

091008_hwl_01.jpg マウイ島の西、ラハイナは人気の観光スポット。数多くのショップ、レストラン、ギャラリーなどが並ぶ海沿いにのびる「フロント・ストリート」は、一年中観光客で賑わいをみせる。ラハイナはカメハメハ王朝時代にハワイ王国の首都として栄えて以来、捕鯨産業、貿易の主要港として、またサトウキビやパイナップルのプランテーション産業の発達と衰退など、めまぐるしい歴史の変遷を経て、ハワイを代表する古都として現在に至っている。ラハイナのフロント・ストリートはとても歩きやすく、散策して飽きることはない。すでにマウイ・リピーターにはお馴染みの場所ではあるが、「ハワイアン・カルチャー」「ノスタルジックな散策」「日系移民の足跡」など、目線を変えて何度も楽しめるマウイ島で随一の街といえるだろう。


ハワイの中でも王朝ゆかりの神聖な場所 

091008_hwl_02.jpg 「ラハイナ、カ・マル・ウル・オ・レレ(Lahaina,ka malu ulu o Lele)」と歌われることの多いラハイナ。この「ラハイナ、ウル(ブレッドフルーツ)の生い茂ったレレの木陰」という歌詞の意味からも、自然が豊かであり、たくさんのウルの木が育ち、木々の葉が強い日差しを遮ってレレに木陰を作っていた安らぎ感のある土地であったことがわかる。レレとは、ラハイナの古えの名前。現在はウルの木は数少ないが、島の西側特有の強い日差しとレレという名前は健在である。

 世界中の観光客をもてなし、愛され続ける場所の多くは歴史があり、そこに住む人々が誇りをもって暮らしている。ラハイナもその定説を貫いている。19世紀から現在まで、ハワイの歴史は変遷が激しかったが、時代が変わってもその雰囲気が変わらないのは、ラハイナという土地の持つマナ(ハワイの人々が信じる霊力)の強さ、そこに生きるハワイの人々の誇りの高さだといえるだろう。

 そんなラハイナで、古代から聖なる土地として崇められているのが、フロント・ストリートの端にある「505フロント・ストリート」の立地するエリアから山側にかけての地域「モクウラ(Moku’ula)」。ここはか つて、「モクヒニア」という大きな池に囲まれた小さな島、モクウラがあり、カメハメハ一世の王朝統一以降、ケオープオーラニというカメハメハ王の正妻、およびその子である最後の伝統的なハワイの王とされるカメハメハ三世が居を構えた場所である。また、カメハメハ王朝を遡ってマウイ島を統一したピイラニ王朝の中心があった由緒ある地域でもある。大きな池には、代々の王家の人々を守るトカゲ姿の女神「キハーワヒネ」が住んでいたといわれる。

 この聖なる土地も開発の波にのまれたが、住民の大きな反対運動の結果、現在は中断。開発の際、この場所からラハイナの中心にあるワイオラ教会の横に移されたカメハメハ王の妻やカメハメハ三世をはじめとする王家の人々のお墓や池、遺跡を復元するための活動がされている。505フロント・ストリート前の駐車場の一角には、モクウラに関する情報が記されている。ラハイナの昔と今を知るためにも、古都ラハイナの散策はここからスタートしてほしい。

 
捕鯨や貿易の港として栄えた街のノスタルジー

091008_hwl_03.jpg モクウラのエリアからフロント・ストリートを南に歩いていくと、賑やかなラハイナの街並みに至る。ほどなく海側にラハイナ・ハーバーが見えてくる。ここは12月から4月まではホエール・ウォッチングに向かう船がひしめき、それ以外の季節も、ディナークルーズやシュノーケリング・ツアー、ラナイ島やモロカイ島へ向かう船の乗客やフィッシャーマンでいっぱいだ。実は「レレ」という地名には、「カヌーや船の乗り降り」という意味もある。カメハメハ王の時代からラハイナは海への出入り口だったのだ。

 捕鯨が盛んであった1830年から1850年、捕鯨船とともにキリスト教宣教師の活動が広がり、ハワイの文化と経済に大きな影響を与えた。1850年以降は、サトウキビ産業が栄え、産業を支える労働者として数多くの移民がやってきた。ハーバーのあるエリアには昔の裁判所、宣教師の家など、往時を偲ばせる建物が残ってはいるが、遺跡や跡地になっているものも多い。それでも、ラハイナの人々は街並みをできる限り保存しようとしており、コンテンポラリーなギャラリーやサーフショップ、レストランやバーも、店舗の外観は昔のままのデザインだ。

 なかでもよく知られているのが、1901年に西マウイで初のホテルとして誕生した「パイオニア・イン」。今でも古きよき面影を残しながら現役で営業中だ。ハーバーにせり出したホテルのロケーションはラハイナを満喫できるし、部屋やレストランのアンティークなインテリアは、ノスタルジックなムードを楽しめる。

 また、ハーバーの中心にあるバニアン・ツリーの広場で、週末に必ず開催されるマーケットも味わいがある。クラフトやアートを販売する人が集まり、地元のミュージシャンによるライブミュージックの音楽があふれる。このほか、パイオニア・インの山側で毎月第2木曜日に開催される、ラハイナを拠点としたラジオ局「KPOA」の名物DJであるアンクル・ポキのミュージックイベントも、町の風物詩となっている。

   
視点を変えたラハイナ観光

091008_hwl_04.jpg 散策中にぜひ見つけてほしいのは、町のあちらこちらにある日系人移民の足跡。ラハイナに住むお年寄りの口からすぐに名前があがるのは、フロント・ストリートにあった日系移民のお店「ヤマモト・ストア」や「キダニ・ビルディング、ジャパニーズ・フィッシュ・マーケット」だ。特にヤマモト・ストアはシェイブ・アイス(カキ氷)や当時35セントだったハンバーガーが有名だったようだ。姿が消えてもなお、その名は健在。立ち並ぶ昔ながらの建物の屋根あたりに残る日系移民の名前を見つけながらの散策は、また違った楽しみが味わえる。ジャパニーズ・フィッシュ・マーケットがあるほど日系移民の多かったラハイナには現在、フィッシュ・マーケットはないが、日系人のフィッシャーマンが元気に仕事をしている。

 フロント・ストリートからマラ・ワーフと呼ばれる波止場の方に歩くと着く「ラハイナ浄土ミッション」、ワイオラ教会の横にある「ラハイナ本願寺」なども、日系移民の歴史のひとつ。ラハイナ浄土ミッションは、日系移民100周年を記念して贈られた大仏像、釣鐘、立派な寺院があり、海の向こうのラナイ島、モロカイ島を見ながら、和やかな時間を過ごすことができる。また、7月に行なわれるラハイナ本願寺の盆踊りは、地元住民と観光客でごった返すほどの賑わいとなる。

 最後に紹介したいのは、散策しながら山の手を見上げると目に入る山に描かれた「L」の白い文字。これは一体何なのか疑問を持った人もいるかもしれないが、これは宣教師たちが1831年にハワイで初めて設立した高等教育学校である「ラハイナ・ルナ・ハイスクール」のシンボル。ハワイ文化研究者、歴史家として世界的に有名なデイビッド・マロ、サミュエル・カマカウや、最近では日本でも人気のハワイアン・ミュージシャンのケアリイ・レイシェルなどを輩出した学校としても知られる。「L」の字の近くには、デイビッド・マロのお墓もあり、毎年4月24日のデイビッド・マロ・デイには大きなイベントが行なわれる。こんなことが分かると、何気なく眺めていた風景も少し違って見えるはずだ。


▽パイオニア・イン
http://www.pioneerinnmaui.com/

▽KPOA
http://www.kpoa.com/

 
今週のハワイ50選
ラハイナ(マウイ島)

 

取材:神宮寺 愛